2013年5月13日月曜日

【解析いろは7】ウェブ解析のPDCAサイクルのP、「仮説」について

ウェブ解析でもPDCAサイクルでの思考がほぼ当たり前になってきてます。その中で仮説を立てるという作業(P=PLAN) はどういうことなのか。というお題です。
 
ウェブ解析のフローにPDCAサイクルを当てはめることが流行ってます(流行ってるっていうな)。「そんな風に具体的に説明するとなんとなーく説得力があるから」という実利的な理由もあります。
本音はさておき、PDCAサイクルに解析業務を当てはめるのは、ウェブサイトが業務の内容として占める比重が大きくなり、よりビジネスに貢献することが求められるようになってきたからですね。ウェブ解析は単発では あまり役に立たないですしね。現状把握ができたとして、次に改善したときに効果を検証するには、やっぱり解析が必要です。その意味では現時点では合理的な説明方法といえます。まあ、ただ現場で本気でPDCAに取り組んできたおっちゃんたちには「はぁ?ウチらとっくにそういうのやってんだけどー」という生温い気持ちにもなりかねません。企業の人たちは本当に本気で会社の業務を回してきるのですよ。そこへ外部の人間がドヤ顔でPDCAが・・・なんて語りだしたらどうなるでしょう。
ぺらっぺらな言葉だけで語るのではなく、「御社と同様のビジネスの理論を根底に、我々もウェブをビジネスとして真剣に考えてます」という姿勢を提示すべきだと思います。

長いマエフリになりましたが。PDCAサイクルに則って考えよう、のうちのP=PLAN、仮説立案についてちょっと考えてみました。かつて、すごく率直な疑問を投げかけられたことがあります。
(1)「ウェブ解析での仮説はどのくらいの精度(信憑性)なのか」
(2)「その仮説は仮説を立てる人の思考やスキルに依存しているのではないか」

(1)「ウェブ解析での仮説はどのくらいの精度(信憑性)なのか」
多くの人はどれくらい、という程度を示すのに数字を使いたがります。そうすることで論理の信憑性を補強したいわけです。
これが統計であれば、絶対的・客観的な統計データを元に%の確率で・・・という数字が出せるかもしれませんが、そもそもウェブ解析のデータは「相対的な」数字の上に成り立っています。 そこから生じる仮説の実効性の確率をはじき出すのは困難ですというかムリです。
例えば、研究開発におけるPDCA。数ある遺伝子のうち、ある細胞を作るたに働く遺伝子を特定しなければならない。その場合、数字的な確証を持って実験を行うだろうか?もし数字的な確証を持ってやれるのならそれはすでに確立した理論であって他の人もやっていることではないか。と。

数字や科学反応といったものへ信頼の根拠を求めるのは、不安があったり納得していないからではないでしょうかね?

私の(現時点での)結論は、相対的な、固有のデータを見て、集計して、そこからわかること、推察できることに確率としての数字は出せません。 ですので、その考えに至った思考過程と根拠となるデータを提示します。その上で、私はこう思います。このことにはこういう対応が可能です。と、私なら答えます。
間違ってはいけないのは、ウェブ解析は「答え」を出す行為ではないはずです。ビジネス的な、DO(実行)の判断をするのはあくまでもクライアントで、我々は情報を提供し、最大限協力はできますが、ビジネスの主体はクライアントなのです。 数字への信頼ではなく、ウェブ解析をするプロとしての信頼を得ることが重要と思ってます。答えになってないって?だから答えは出すものではなく・・・
 
(2)「その仮説は仮説を立てる人の思考やスキルに依存しているのではないか」
人間が介在する以上、依存すると思います。正直、経験の差もありえます。
解析担当として、その仮説に不安がある、自分でもちょっと・・・と思う場合は、営業ふくめ社内で検証してみるといいでしょう。ピンの場合は? 守秘義務の範囲内で同業に意見を求めるのも手だと思います。最終的には自分が責任をもってレポートを提出するわけですから、論理破綻がないようにだけは気をつけないといけません。
正解や答えを出そうとすると、数字に基づいたありきたりな内容、ベタベタな指標の説明のみに落ち着きかねません。わかったようでわからないレポートだけが後に残り、読み捨てられていくのです。(アイタタター)
徹底的に調べる・時に他者の参考意見を聞く・論理の道筋が通っていることが「仮説」の信頼性をより厚くすると思っています。
さっきの細胞の話に戻りますけど、可能性のある細胞をひとつの培養皿で培養しました。乱暴な話ですよね。でもそこに至るまでに、膨大なDBを解析し、徹底的に調べ、可能性のある細胞を24個に絞り込んでいるのです。もちろん、はずれる可能性だってあったでしょう。はずれても恐らく、この実験をした人はまた解析し、調べて、別の細胞で検証したと思います。ああ、見事なPDCAサイクル・・・(仮想の話です)。
つまり、仮説というのは想像でも妄想でもヤマ勘でもありません。そこに至るまでの筋道があり、ある程度の精度を備えている。もし成果がでなければ、その筋道を変えてみる。経験やスキルで仮説の差が出るのは、その道筋を経験則(成功体験あるいは失敗)である程度把握し、理解しているから結論への道が短いということだと思います。経験者も失敗しますし、初心者だからこそ鋭い洞察が可能なことがあります。なので、一概に経験数で語れない、ということも仮説にはあります。私個人は経験則や経験年数はあまり信用してません。判断が古いデータに基づく場合も多いからです。 経験をもちつつ、経験に依存しない、まったいらな目でデータを解析できる人が優れた解析者だと思います。そうありたいなぁ・・・と思います。

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